近自然工法とは何か
−スイス・ドイツ・オーストリアの川、眺め歩記−

孫田 敏@ARCS 


4.オーストリアの近自然工法

 今回の旅程では、前半は山脇氏の案内でチューリッヒとその近郊およびバイエルンの近自然工法を見て廻った。後半は、これは行く前から予定していたことであったが、2グループに分かれて各々見たいところを廻ることになった。私は以前訪れたことがあるザルツブルク(Salzburg)を再訪したいと思い、オーストリア行きのグループに属することにした。ザルツブルク再訪の目的は、7年前に近自然工法で二次改修を行っていたアルターバッハ(Alterbach)という川がその後どのように変わったかを見ることにあった。

 ここでザルツブルクの概要を説明しておこう。ザルツブルクはオーストリアの西部、ザルツカンマーグート(Salzkammargut)と呼ばれる風光明媚な湖水地方の西側に位置している。ICでウィーンから2時間、ミュンヘンから1時間半の距離にある。列車でザルツブルク駅を発ち、市内を流れるザルツァッハを渡るとそこはもうドイツ、という国境の街である。前回は車中に国境監視員が乗車していて、国境を越えるとすぐにパスポートの提示を求められたが、今回はもうそのようなこともなく国内旅行とまったく変わらない。EUによるヨーロッパの一体化はますます進み、「国境の」という形容詞もいずれ死語になっていくのだろう。

 さてそのザルツブルクだが、人口は14万5千人で、オーストリア国内4番目の都市である(なおオーストリアの人口は807万人)。モーツアルトの生まれた街として有名で、旧市街は中世の面影を残しており、多くの観光客が訪れている。映画「サウンド オブ ミュージック」の舞台となったことは、私の同年代以上の方であればご存じだろう。ジュリー・アンドリュース主演のミュージカルで、映画は知らなくとも劇中歌の「エーデルワイス」は一度は聞いたことがあるだろうと思う。またザルツブルクは先史以来岩塩の産地として名高く、ザルツブルクという名前は「塩の城」を意味している(長,1998)。つい最近の話題では、昨年(2000年)11月の山岳ケーブルカー事故がある。ザルツブルク州カプルンというところで起きているので、その名前を記憶している方もいるかもしれない。位置は前出図-3.1.1に示してある。

 気候は温帯気候(Cfb)に属しているが、比較的降水量は少ない。ザルツブルクのデータは入手できなかったので、近隣のミュンヘンと同国内のウィーンの気象データを巻末資料編に載せている。年間を通して札幌に比べ気温の変動は少なく、降水量も少ない。

4.1 アルターバッハの近自然工法

4.1.1 アルターバッハの概要

 私が今回見てまわったのは、アルターバッハという中小河川である。この川はザルツブルク市街地の北東部を流れ、流路延長は10.1km、流域面積は31.2k?の規模である。数値は1:50000図 Mattsee Wallersee-Irrsee Fuschl-Mondsee よりプラニメータで算出したものである。この川が注ぎ込むザルツァッハはオーストリアのツィルラーターレル・アルプス付近に源流を持ち最初は東に流れ、ビショフスホーフェンから北に向きを変え、ザルツブルクを流れ下流のブラウナウでイン川と合流し、そしてパッサウでドナウに注いでいる。ちなみに札幌の真駒内川は流路延長20.8km、流域面積37.1k?である(北海道,1999)

図-4.1.1 アルターバッハ流域図

4.1.2 一次改修区間

 アルターバッハはすでに一次改修が完了している川である。ザルツァッハの合流点から約2km上流までは一次改修の姿のまま残っている。以前、市の担当者から聞いた話では、この下流区間では用地の関係で二次改修は難しいということだった。

 アルターバッハをザルツァッハとの合流点から遡りながら見ていこう。アルターバッハとザルツァッハの間には1mほどの落差がある(写真-4.1.1)。その落差は捨石を用いた斜路工によって処理されている。

写真-4.1.1 ザルツァッハとの合流点の斜路工

 ある区間では三面張りとなっている。一部には置き石などをして部分的に流れに変化を持たせているものの、全体が平瀬化して流れは単調である(写真-4.1.2)。

 縦断勾配の規制を行っているところでは、従来の落差工の前面に捨石をした斜路工を多用している。写真-4.1.1と同じような構造である。

写真-4.1.2 置き石をして単調な流れに変化を持たせようとしている区間

 一次改修を行ったままの区間はかなり単調である。斜路工や置石は一次改修時には用いられなかったはずの工種で、用地の関係から二次改修ができなかった区間で代替措置的なものとして付け加えられたと思われる。

写真-4.1.3 一次改修区間の現況

4.1.3 アルターバッハの近自然工法

 合流点から約2km遡ると二次改修区間に入る。用地に余裕ができた区間では二次改修がなされている。近自然化である。

 アルターバッハはザルツブルク市が管轄する河川であるが、アルターバッハの近自然化は市が主導的に行ったのではなくウィーン農科大学の指導のもとに実施された。河川工学の専門家・造園の専門家・生態学の専門家が関与しているとのことだった。スイス・ドイツでは行政が主体となって近自然工法を推進しているが、ここでは様相を異にしている。

 二次改修のポイントは以下のようなものである。

?河川隣接地が草地などのように土地利用が高度化していない場合には引堤を行い流下断面に余裕を持たせ、河岸の近自然化を図る。

?隣接個所の土地利用形態によっては、堤防を設置せず遊水地化を図る。

?結果として河道を非対称化して河川環境の多様化を図る。

 引堤した区間を見よう。写真-4.1.4のサイクリングロードの右側の小高くなった部分が堤防である。その背後は未利用の草地となっている。本来であれば堤防をもっと河道側に設置し、サイクリングロードは堤防上を走る形となるところである。

写真-4.1.4 左岸の引堤部分

 写真-4.1.4では堤防部分は草や木に覆われているため一見盛土の堤防のようであるが、実は石積みの堤防である。

 写真-4.1.5は1993年当時の写真である。堤防部分にも樹木の植栽が行われている。ハンノキ類が中心であったと思うが、堤防に樹木を植えるという行為にいささか驚いた覚えがある。

 河岸部ではヤナギ帯梢工や木柵工、置石などを使用している。置石などを除くと、ちょっと見ただけでは河川改修をしたかどうかがわからない状態になっている。

写真-4.1.5 石積みの築堤

 前回訪れたときに工事をしていた。その箇所の写真を比べてみよう。写真-4.1.6が工事中、写真-4.1.7が今回撮ったものである。この間7年が経過している。いかがだろうか。

写真-4.1.6 工事中のアルターバッハ(1993年)

写真-4.1.7 7年後のアルターバッハ(2000年)

 水の流れの多様性は魚類の生息環境も改善しているようで、多数の魚影を見ることができた。写真-4.1.8には魚は写っていないが、流れの緩やかなちょっとしたトロに群をなし、近づいたときには河岸のオーバーハングの下に隠れていった。写真-4.1.8の左側(左岸)の河岸部に草の根によるオーバーハングが形成されている。

写真-4.1.8 魚影を見かけたトロ

 ここまでは河道だけをみてきたが、河川の洪水対策は河道の改修だけではない。写真-4.1.7の山裾付近から上流では、アルターバッハは河床勾配が急になり、日本でいうところの砂防区間のような様相を示すようになる。その砂防区間から扇状地に入ってすぐのところに湧水地を設けている。写真-4.1.7の左側(右岸側)の高さが住宅地側(左岸側)に比べやや低くなっているのがわかるだろうか。右岸側を湧水地としているのである。写真-4.1.9に示すようにグランドのような広場となっている。

写真-4.1.9 アルターバッハの遊水地

 そのグランドに繋がる右岸の高さは左岸側よりも低く設定され、出水時には水があふれ出るような構造となっている。このような例は珍しいものではなく、オーストリアに限らずドイツでも見られる。牧草地を洪水時には遊水地として機能させようとしている例が多い(写真-4.1.10・写真-4.1.11)。写真-4.1.10の堤防の裏側はトウキビ畑であり、写真-4.1.11は同じ地点の左岸側であるが無堤で、後背地は牧草地となっている。同じ農地であっても牧草地とほかの農作物を植えている畑地とでは洪水時に冠水したときの被害の度合いが異なる。このため防災の重要度をランク付けし、その対策も変えていると解釈した。

写真-4.1.10 バイエルン州レーゲンスブルク郊外・ケスナッハの右岸築堤(後方はトウキビ畑) 

写真-4.1.11 バイエルン州レーゲンスブルク郊外・ケスナッハの左岸,無堤(後方は牧草地)

 日本でも1977年から総合治水が打ち出され、都市部ではグランドや公園などを出水時には湧水地として機能するような土地利用の仕方が推進されることになったが、実際にはそのような土地利用は必ずしも多くはない(札幌では伏古川流域)。すでに河道だけに頼った治水計画は破綻していることは多くの研究者たちによって指摘されているが(大熊,1988 など)、遊水地を取り入れた洪水対策はもっと広く採用されるべきだと思う。ことに北海道のように牧草地の多い土地柄では、このような施策も進めやすいのではないかと思われる。(この原稿を書いている間に河川審議会の答申が出され、洪水を許容する河川技術が必要であるとの認識が出された。たぶん遊水地の問題や土地利用の関連など、これから大いに論議されていくことになるだろう。)

4.2 近自然河川工法の工事

4.2.1 竣工直後の河道

 アルターバッハを歩いているうちに、前回訪れたときにその支流のゼルハイマーバッハの改修計画(これも二次改修)があると聞いていたことを思い出した。直線的な川を生物相に配慮した川に戻す、その中では湿地の造成も含まれる、という内容であったと記憶している。アルターバッハの改修計画ではビオトープという発想はなかったけれども、ゼルハイマーバッハではその概念も取り入れたい、ということだった。ひょっとして工事後の状態が見られるのではないかと思い、足を伸ばすことにした。

 ゼルハイマーバッハは工事中であった。今回アルターバッハを歩いたのはたまたま日曜日だったので、工事現場は休み。お陰で現場の中まで入り込むことができた。

 写真-4.2.1は昨年もしくは一昨年あたりに再改修されたと思われる場所である。工事跡地の種子吹付工の具合からは今年のものとも考えられる。

写真-4.2.1 改修から1年ほど経過した河道

護岸の材料は石材・丸太・粗朶である。低々水路を固定している。北海道では低々水路をつくってはみたものの土砂移動が激しく、結局埋まってしまい機能していないという川も見られるのだが、ここではそのような心配はないのだろうか。

4.2.2 工事中の様子

 上述の写真はすでに河川用地ぎりぎりまで住宅街が迫っている場所である。この上流部は牧草地となっている。そこでの改修を見てみよう。こここそ工事の真っ最中であった。工事区間のすぐ上流部の未改修部分はアルターバッハの一次改修区間と同じように直線的で変化のない川である。写真-4.2.2にその様子を示した。

写真-4.2.2 ゼルハイマーバッハの改修前の状況

 どのように映るだろうか。日本でならば、すでに多自然型川づくりが行われた跡と解釈され、それなりの評価も受けるような状態である。しかし彼の地では、これは自然豊かな川ではなく人工水路の延長であると考えられ、再改修に踏み切っている。

 先の述べた住宅地内を過ぎると上流は牧草地の中に入り、右岸側では新たな水路もしくは拡幅のための掘削作業が行われていた(写真-4.2.3)。河岸は緩傾斜にして、護岸は木柵工を用いている。

写真-4.2.3 右岸の河道掘削状況

 護岸の材料は先に述べたように石材・木材・粗朶である。写真-4.2.4は現場内に積まれていた様子である。

 先に湿地の造成に触れたが、ひょっとしてこの場所がその対象なのかとも思った。前回の訪問から7年。そのときには住民との対話がかなり難しく、合意形成をしながら計画を立案するのに数年は必要だろうといっていたが、きっとその合意形成ができ工事着工に結びついたのだろう。合意形成を行うときのザルツブルク市からの条件(北海道,1994)としては、

(1)改修を行う区間では、川からのある一定範囲は土地を買収する。(詳しい数値は忘れてしまったが)

(2)遊水地となる牧草地では、地価の10〜15%を補償費として支払う。

(3)アルターバッハでは考慮していなかったビオトープを造成する。

というような内容であったと記憶している。

写真-4.2.4 護岸の材料、石材・木材・粗朶

 実はザルツブルクの二つの河川については違和感を覚えている。ドイツ・スイスと大枠の考え方では同じようなものだと思うが、細部では違いがあった。何かというと、造りすぎているのではないかということである。周囲の土地利用が住宅地として確定しており、すでに余地がないということかもしれないが、近自然化というにはもっと河川のダイナミズムを生かす方向が必要なのではないかと思う。アルターバッハは北海道河川課からも多くの人が視察に訪れ、オーストリアの近自然河川工法の代表として取り上げられている。しかし、ちょっと待てよ、という目で見ないと大きな過ちを犯しそうである。 

4.3 河川空間を利用する文化と近自然工法

 今回アルターバッハを訪れたのは日曜日である。アルターバッハやザルツァッハ沿いにはサイクリングロードが整備され、好天に恵まれたせいもあると思うが、実に多くの人々でにぎわっていた。お年寄りは散歩を、若者や子供達はインラインスケート、そして家族連れはサイクリング、と訪れて移動する手段は様々であるが皆川沿いを散策している。

写真-4.3.1 日曜日の昼下がり、川沿いのサイクリングロードを利用する家族

 このような人々の欲求を満たすため、図-4.3.1に示すように市内やその近郊にはくまなくサイクリングロードや遊歩道が整備されている(実はこのようなではなく、日本のような普通の5万分の1図地図が欲しかったのだが、売っているのはサイクリングロードや遊歩道が記入されているWanderkarteと呼ばれるものしかなかった)。

 ドイツでは20世紀初頭にワンダーフォーゲルが始められている(Hermand at el,1999)。遡れば18世紀初頭には「散策文化」ができあがっていたという(高橋,1993)。このような川や森と親しむ文化が、近自然工法を後押ししているのだとつくづく感じさせられた1日だった。


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