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第6回 課題(自由課題)

白鳥、蘆に入る

提出原稿
添削後
  目の前に広がる蘆原を想像して欲しい。風もないのに、その一部だけがそよいでいる。何が起きているのか。目を凝らしてみると、蘆原には一羽の白鳥が舞い降りていて、その羽ばたきで蘆が揺らいでいるのだった。白鳥は蘆に隠れ目立たないが、蘆のそよぎは波紋のように広がっていく。晩秋の、蘆の穂が白く綿毛のようになったときの光景だろう。

 この光景は、下村湖人著「次郎物語」の一節である。正確には風景を描写したものではなく、主人公・次郎の中学の恩師が彼に語り聞かせたことの一部だ。

 「次郎物語」は昭和初期から第二次世界大戦の前までを時代背景として、次郎という旧家の次男に生まれた少年の生い立ちと、その心の成長を物語ったものである。幼少期の養子縁組と復縁、複雑な家庭環境の中での成長、そして多感な青年期を迎え、というところで未完まま終えている。

 先の蘆原の描写は、未完の物語が終演に近づいたころ語られている。

 その当時、自由主義的な思想や行動はすべからく「アカ」としてひとくくりにされ、そのような言動を行うものは反国家的人物とされた。世の矛盾をどうとらえるか、またいかにあるべきかを授業の中で説き、外では学習会のような活動を続けていた、次郎の恩師もその一人と見なされ、やがて教壇から追われることになる。そのとき、生徒たちの中から恩師を教壇に戻すためのストライキ案が出される。なぜ理想を問う者が罰せられなければならないの、なぜこのような不条理がまかり通るのか。憤りと無念さ。ストライキは1実行寸前まで行き着く。

 このとき、生徒たちを前に恩師が語った話の一部に先述した蘆原の情景がある。大風を吹かすことだけが蘆原を揺るがすのではない。目立たぬようではあるが、蘆原の白鳥のように羽ばたくことによって、少しずつ揺らぎを広げていくことができる。つまりストライキのように大上段に構えることだけが世に問うすべではない、身近なところから少しずつ変えよ、と語りかけたのである。そして、その様を「白鳥、蘆に入る」といったのだった。

 三十年以上も前に読んだものだが、この一節だけは忘れられない。時折、自分は羽ばたいてきたのだろうか、ひょっとして羽を休めたままここまできたのではないだろうか、と自問自答する。

 私は三十年近く、森や生き物を扱う技術者として歩んできた。近年ようやく、ヒトが勝手につくった制度や技術だけではそれらの取り扱いはうまくいかないことを理解するようになった。しかし、まだそれを理解する技術者は必ずしも多くはなく、少数派だろう。私には、残念ながら大風を吹かすような力はなく、ひとつひとつ事例を積み重ねていくほかはない。そうしながら、蘆原の白鳥のように、幾ばくかの風の跡ぐらいは残していきたいものだと願う。

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 目の前に広がる蘆原を想像して欲しい。風もないのに、その一部だけがそよいでいる。何が起きているのか。目を凝らしてみると、そこに一羽の白鳥が舞い降りていて、その羽ばたきで蘆が揺らいでいるのだった。白鳥は蘆に隠れ目立たないが、蘆のそよぎは波紋のように広がっていく。晩秋の、蘆の穂が白く綿毛のようになったときの光景だった。

 この光景は、下村湖人著「次郎物語」の一節である。正確には風景を描写したものではなく、主人公・次郎の中学の恩師が彼に語り聞かせた話の一部だ。

 「次郎物語」は昭和初期から第二次世界大戦の前までを時代背景として、次郎という旧家の次男に生まれた少年の生い立ちと、その心の成長を物語ったものである。幼少期の養子縁組と復縁など、複雑な家庭環境の中での成長、そして多感な青年期を迎える、というところで未完まま終っている。

 先の蘆原の描写は、未完の物語が終末に近づいたころ語られている。

 その当時、自由主義的な思想や行動はすべからく「アカ」としてひとくくりにされ、そのような言動を行うものは反国家的人物とされた。世の矛盾をどうとらえるか、また社会はいかにあるべきかを授業の中で説き、外では学習会のような活動を続けていた次郎の恩師もそんな一人と見なされ、やがて教壇から追われることになる。そのとき、生徒たちの中から恩師を教壇に戻すためのストライキ案が出される。なぜ理想を問う者が罰せられなければならないの、なぜこのような不条理がまかり通るのか。憤りと無念さ。ストライキは実行寸前まで行き着く。

 このとき、生徒たちを前に恩師が語った話の一部に先に触れた蘆原の情景がある。大風が吹くだけが蘆原を揺るがすのではない。目立たぬようではあるが、蘆原の白鳥のように羽ばたくことによって、少しずつ揺らぎを広げていくことができる。つまりストライキのように大上段に構えることだけが世に問いかける手段ではない。身近なところから少しずつ変えよ、と語りかけたのである。そして、その様を「白鳥、蘆に入る」といったのだった。

 三十年以上も前に読んだものだが、この一節だけは忘れられない。時折、自分は羽ばたいてきたのだろうか、ひょっとして羽を休めたままここまできたのではないだろうか、と自問自答する。

 私は三十年近く、森や生き物を扱う技術者として歩んできた。近年ようやく、ヒトが勝手につくった制度や技術だけでは生き物たちの処理はうまくゆかないことを理解するようになった。しかし、まだそれを理解する技術者は必ずしも多くはなく、少数派だろう。私には、残念ながら大風を吹かすような力はなく、ひとつひとつ事例を積み重ねていくしかない。そうしながら、蘆原の白鳥のように、幾ばくかの風の跡ぐらいは残していきたいものだと願う。

04/04/14
04/05
 最後の落とし方は実生活を考えると無理があるというご指摘。確かにその通りで、つい大上段に構えてしまったことを悔やむ。大言壮語もほどほどにしなくっちゃ…。

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