ARCS TECHNICAL REPORT No.7

ドイツにおける景域保全の

歴史的展開と近自然工法

(2001,北海道川の会,ホームページに掲載)


はじめに

 これまで「近自然」を見たり聞いたりした中で、疑問点がいくつかあった。その一つは「近自然工法」を是とするバックグラウンドは一体何なのだろうか、といことである。仮にチューリッヒのC・ゲルディをはじめとする近自然工法の提唱者たちがどんなに優秀な技術者であったとしても、それを受け入れる素地がなければ技術としては確立しなかったはずである。西ヨーロッパ諸国の環境に対する様々な施策やNGOなどの活発な活動については断片的に聞き及んではいるが、それを動かす原動力については理解できなかった。今回の渡欧体験(2000,5月)でも氷解はしていない。ただ「近自然」という考え方が受け入れられやすい素地はかなり歴史的なものであることが推測された。いくつかの文献をもとに歴史的背景を探ってみたい。

1.景域保全という概念

 ドイツの地域景観を考えるとき、「景域保全」というキーワードに行き当たる。「景域保全」とは「永続性のある、美しい、健全な景域をめざして、景域の秩序・管理・維持・開発を行うもの」(Buchwald at el.,1964)である。「景域」とは「近自然」について話を聞くときによくでてくる「Landschaft」である。日本ではすでに景観という言葉が一般に認知され、視覚的な概念としての風景と一致させているが、「Landschaft」の概念は視覚的な概念だけではなく土地概念を含むものである。それは、「一定の単位として認識される地表の一部であって、生態学的に一定のまとまりを有する空間であると同時に固有の文化創造の基盤ともなり、また人々が共属感情を持ちうる歴史的地域」(井手・武内,1985)である。なじみのない概念でわかりにくい。山脇(2000)は次のように説明している。「ランドシャフトとは、人間の五感プラス心で認識する内外世界の総体」。

2.景域保全の歴史

 このような景域(Landschaft)を保全しようとする動きは、18世紀後半の農林地の保全に関する問題に端を発している。18世紀後半から19世紀初頭はいわゆる産業革命が進行しつつある時で、都市のみならず農村も大きく変容を遂げようとしている時期だった。工業の発展はそれまでの手工業者・職人とは異なった賃労働者を求め、その労働者は農村から供給された(阿部,1998)。日本の高度経済成長期に起きたと同様の人口流出が、200年前のドイツですでに起こっていたのである。農村は疲弊していった。ちなみに産業革命は1765年のワットによる蒸気機関の発明を契機に、イギリスでは18世紀後半に、ドイツではそれよりも遅れ19世紀初頭に進行した。(日本では徳川家斉の時代)

 一方18世紀後半から19世紀初頭というのはゲーテの時代であり、ロマン主義の時代でもあった。若干この時代について説明しよう。なぜ景域を保全しようというような動きがでてきたかということと、その時代背景は大きく結びついているからである。この当時の出来事を年表風に書いてみよう。

1756-1763 七年戦争(プロシアとオーストリア・フランス間の戦争)

1789    フランス革命、そしてナポレオンの時代へ

1806 神聖ローマ帝国解体

1814 ウィーン会議(ナポレオンの敗退とその戦後処理に関する国際会議.オーストリアのメッテルニヒを中心に進められるものの各国間の利害調整を図ることができず,「会議は踊る」で後世有名となる.)

 ドイツということばを用いてきているが、実はまだドイツという国家はなく、19世紀初頭まで314もの大小の領邦が分立していた(阿部,1998)。誤解を恐れずにいうと、「混乱と不安」の時代であった。このような情勢にあって、ハイネによって「ローレライ」が書かれたように、ドイツ・ロマン派と呼ばれる人々は「啓蒙」という自己制御を体現するという方向ではなく、「内面的」で審美的な体験を求める方向へと向かう(高橋,1993)。別の面から見ると、フランス革命とナポレオンの侵略がもたらした副次的なものであって、それまでの古典的な規範となっていたギリシア・ローマの軛から解放され、各地域の独自の美術・文学が開花した時代ともいえる。

 話はイギリスの飛ぶが、このころギルピン(William Gilpin,1724-1804)という美学者が『森林風景論』(Remarks on Forest Scenery, and Other Woodland Views,1791)を著している。森と野原が混在する風景を美しい地形としてとりあげている。この考え方はワーズワースやキーツなどのイギリスロマン派詩人たちの審美感へと受け継がれていく。ヨーロッパ諸国が外洋に進出しだした16世紀頃からヨーロッパの森林は盛んに伐採され、森林はそれまでの畏敬や恐怖の対象であった暗い森から次第に明るい開放的な森林へと変貌してきていたのである。新しい美的感覚は庭園のあり方にも影響を及ぼし、イギリス庭園はそれまでの「整形庭園(Formal Garden)」から「自然風(風景式)庭園(Natural(Landscape)Garden)」へと変貌した(川崎,1987)。ヨーロッパ各地はこの影響を受けることになる。ドイツでも各地でイギリス風の自然風庭園がつくられ、やがてそれは土地美化および土地改善運動へと繋がっていく。

 この運動は19世紀半ばまで続き、やがて衰退する。しかし今度は工業化が激しくなり、それとともに景域への破壊的な圧力が増してくる。これに対して今度は新たな保護運動が起きてくる。景域を保護しようとした最初の動きは、1836年(明治維新の30年ほど前)に自然愛好家たちがボン郊外にあるライン河畔の古城址「竜の断崖」(Drachenfels)を地学的見地で砕石の危機から保護したことである。その後も様々な動きがあったが、そのような保護運動を実践を通して推し進めたのはルドルフ(E.Rudorff)であった。彼は1904年に「郷土保護連盟」を設立し、景域保全を実践していった。その当時の様子を彼の論文(1880)の一節から見てみよう。

「人々は色彩豊かで快適な風土を可能な限り短く坊主刈りにして、地図上で見ると規則的に四分割されたような形にしようと一生懸命になっている。森にある木々のなかでも群を抜いて高い木は、便利な直線を愛する思想でどれもこれも伐られ、また、木々のあいだに点在した草地にはどこもかしこも木々がいっぱいに植えられている。森奥深くであっても木々がまばらな明るい空間はなく、動物が飛び出してくるような木々の合間の草原の存在を許すような鷹揚さはもはやない。(孫田 註:ミズナラを中心とした広葉樹の森は伐られ、その代わりにヨーロッパトウヒを中心とした針葉樹の単一林を造っていったことを示している。)くねくねと曲がって流れる小川は掘られた水路を一直線に流れることに慣れなければならない。…同じようにして、藪や生け垣や、野や山にぽつんと立つ木、あるいは灌木もすべてが斧の犠牲になる」 (J.Hermand,1999)

 彼らは実際の活動のなかでも、とくに次の二つの分野に使命があると考えていた。一つは村や町の歴史的、地域的特徴の保存であり、もう一つは人間によって守り育まれてきた多様な風景の保護であった。彼らがいう風景の機能とは、風景が住民に社会的な安心感を与え、地下水位のコントロールの助けとなり、あわせて鳥の世界にねぐらを与えることっであった(J.Hermand,1999)。地下水位の問題は近自然工法を理解する上で大きなウェートを占めることであると考えられ、当時すでに地下水位のコントロールまで念頭にあったことは特筆すべきことだと思われる。この結果、固有の動植物および地質学的特質の保護(天然記念物の保全)、景観的特性の保護、構築物・街路・耕地などの保護(文化財保全)、伝統的農法および庶民住宅の保全・修復、習俗、祭礼服装などの民俗的なものの保護も対象となった。現在の自然保護や景域保全のルーツであり、また「近自然」の考え方の素地となっていると解釈してもよいであろう。

その後様々な運動が展開され、自然保護だけではなく都市域も含んだ景域保全が進められた。景域保護に関する計画の重要性もすでに指摘されており、1911年にはドュッセルドルフに緑地委員会が設けられその中で、景域の保護のためには他の専門計画、例えば交通・建築・水利・工業等の計画と同時に考慮されなければならないことが唱われている。

 1919年のワイマール憲法には「文化財・天然記念物および景域記念物は国家の保護と管理を受ける」ことが規定され、1935年には自然保護法が成立。その翌年(1936年)には「自然保護研究所」が設立されている。ここでは自然保護活動の中に植物社会学を取り入れ、環境保全と生態学が結びつくことになる。1930年代にはアウトバーンの生態学的緑化や水路建設に生物材料を用いた工法が活発に行われ、これらは生態工学と呼ばれ、景域保全における生物学的技術となっていく。この後、景域保全は生態学との結びつきを強くしていく。

3.「近自然」のバックボーンとしての法制度

 1960年代以降には景域計画の方法論が確立される。詳細は割愛するが、このような動きと同時に景域保全を制度的に位置づけることも行われている。それは1976年に成立した「自然保護および景域保全法(Gesetz uber Naturschutz und Landschaftspflege)」である。その概要を述べておこう。所管する官庁は連邦食料農林省である。同法は、

「人間の生存基盤、及び自然や景域の中における人間のレクリェーション活動の前提として、次のような事項を自然保護・景域保全の観点から確保しなければならない。

a.自然システムの持つ能力

b.自然資源の活用性

c.動植物界,ならびに自然や景域のもつ多様性・固有性・美しさ」

としている。そして、こうした目標の達成のため、

「他の官庁および公共機関は、その管轄権の及ぶ範囲において支援すべきである。」

とされている。河川工事を例として上げると、

「水面もまた、自然保護や景域保全措置により保存され、増加されるべきであり、自然浄化能力が維持あるいは回復されるべきである。その際できる限り河川や湖沼における工学的工事は避け、水域の生物学的措置に換えられるべきである。」

と、かなり具体的に述べられている(千賀,1995)。

 農業サイドから見ると、農地整備法も1976年に改正され、農地整備の目的として「全般的な土地改良」が加えられ、その内容として自然・景域の維持保全が含まれると考えられるようになった(千賀,1995)。

 一方建設サイドでは、1986年に連邦建設法が「建設法典」として改正され、景域保全について第1条5項で次のように述べられている。

「4 現存する諸地区の維持・改善・発展、市や町や村の景観像と風景像のゲシュタルト(形姿)を形成すること、そして記念物保護の利害を重視すること

6 環境世界保護・自然保護や風景のいたわりという利害関心を重視すること」(内田,1992)

 直訳調でわかりにくいかもしれない。ここでは地域特有のLandschaftを形成すること、自然保護に努めることが明記されていると解釈したい。

 以上連邦法レベルでの景域保全に関して述べてきたが、ここで州レベルでの景域保全についても若干触れたい。バイエルン州の例である。バイエルン州の憲法(1984年6月改正)では、自然の生命基盤を保護してゆくことが州の目標として明文化され、憲法第3条及び第141条の中で州と各自治体は自然収支のバランス能力を保全すること、継続的に改善させていくこと、そして自生の動植物種とその動植物種にとって必要不可欠である生息空間を大切に保全していくことが義務づけられた。さらにバイエルン州自然保護法は、連邦自然保護法の原則をふまえ、憲法の要請理念を実際行動へと推進させる根拠となるもので、特に指摘すべきなのは次の点であるとされている(バイエルン州内務省建設局,1987)。

●バイエルン州自然保護法 第1条第2項

3.……交通施設は……景域にマッチするように設計され、つくりあげられなければならない。

4.水路の維持管理や改修の際には、動機物の生息空間は確保保全されなければならない。5.野生動植物の生きものの共同体と生息空間は保護されなければならない。また、それらは可能な限りにおいて再生されなければならない。

●同法 第6条a第1項

 何らかの侵害を生じさせるおそれがある者に対して、自然と景域に対して回避可能な侵害を行なわないこと、また侵害が回避不可能ならば、……自然保護および景域保全の施策に基づいで補償させること……が義務づけられている。

 景域計画については、FプランやBプランなどの策定が義務づけられているが、この詳細については都市計画や地方計画の専門家の言を待ちたい。ここでは「近自然工法」は単に担当者レベルでの技術の展開ではなく、すでに制度として確立されている、ということを強調したい。ここに「近自然河川工法」と「多自然型川づくり」の大きな違いがあると思うからである。

 以上、ドイツにおける景域保全の歴史的な流れを述べてきた。なぜ近自然工法に至ったかを知る手がかりにはなるだろうと思う。原著を読めないことから、日本で出版された限られた書籍・文献からの抜粋である。

(本稿は「近自然工法とは何か−スイス・ドイツ・オーストリアの川、眺め歩記」(印刷準備中)から一部抜粋したものである。)

(2001,01,25 投稿)

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参考文献

阿部謹也,1998,物語ドイツの歴史,345pp,中公新書1420,中央公論社

バイエルン州内務省建設局 編,千賀 裕太郎・勝野 武彦・岩隈 利輝 監訳,1993, 緑のまちづくりシリーズ 道と小川のビオトープづくり−生きものの新たな生息域−,ドイツ国土研究会 訳,87pp,集文社

井手久登・武内和彦,1985,自然立地的土地利用計画,227pp,東京大学出版会

Jost・Hermand編著,山縣光昌訳,1999,森なしには生きられない −ヨーロッパ・自然美とエコロジーの文化史,327pp,築地書館

川崎寿彦,1987,森のイングランド ロビン・フッドからチャタレー夫人まで,333pp,平凡社

Michel Deveze,猪俣禮二 訳,1972,森林の歴史,157pp,文庫クセジュ,白水社

千賀 裕太郎,1995,"美しい村"をつくり守る確かな制度−西ドイツの田園景観の創造−,今村 奈良臣・向井 清史・千賀 裕太郎・佐藤 常雄,全集 世界の食料 世界の農村 9,地域資源の保全と創造,143-223,農産漁村文化協会

高橋 義人,1993,ドイツ人のこころ,pp,岩波書店,岩波新書262

内田 芳明,1992,風景とは何か 構想力としての都市,pp,朝日新聞社,朝日選書445

山脇正俊,2000a,近自然工学 新しい川・道・まちづくり,62p,信山社サイテック