オランダ通信

2006年6/7月号 *2006年7月20日*
by 清水 正

暑中お見舞い申し上げます。オランダは6月下旬こそ肌寒い毎日でしたが、7月に入り好天が珍しく2週間ほど続いています。7月19日には36度まで気温が上がりました。近所の庭にはラベンダーや紫陽花がきれいな花を咲かせており、自分の庭にも少し移植したいななどと勝手に思ったりしています。子供の夏休みが7月6日より始まりました。暑い日には近くの屋外プールに連れて行ったり、夕方には近所の子供たちと水鉄砲で遊んだりとそれなりに楽しんでいるようです。

今年6月から7月までの動き

5月23日〜6月20日 ナイジェリア出張(JICA開発調査・太陽エネルギー利用マスタープラン調査)
6月3日 マリエッタの両親がオランダ滞在を終えメキシコへ戻る
6月22〜23日 FAOワークショップ発表(ローマにて、「中央・西アジアの森林と貧困」)
6月23日 フェア−トレード・クイズの表彰式(Culemburgにて)
6月30日 オランダ語検定試験受験(聞き取りのみ)
7月3〜4日 KITにて異文化交流の研修コース参観
7月6日〜8月20日 小学校夏休み
7月10日 ドイツ・デュッセルドルフ日帰り/ワールドカップ決勝戦

半年振りのローマ訪問

1泊2日のとんぼ返りでしたが、FAOのワークショップで発表すべく半年振りにローマに行ってきました。FAO林業局のJeanLouis氏と上本さん、そしてイランのコンサルタントのMona嬢の4名で6月22日の午後に中央・西アジアにおける森林をテーマにそれぞれ20分づづの発表をして、質疑応答を行ないました。Mona嬢は昨年2月にトルコで実施したトレーニングワークショップで会って以来の再会で、ワークショップの後、ローマ市内の観光案内をしながらいろいろと雑談でき楽しいひとときとなりました。イスラム圏で女性研究者として活躍することの困難さに立ち向かいながらも、イラン国内の現場に出て論文をまとめているその姿勢にはただただ感服するのみです。「参加型開発をテーマに博士論文をまとめたいが、イラン国内に適任の教授がいないので、欧米諸国の先生とコンタクトを取れるよう頑張っている」というのでFAO内部の担当者や私の知っている方々を紹介してみました。今後も彼女とはEメールで連絡を取りつづけていくつもりです。

22日夜には、7月上旬に帰国する上本さんの送迎会を兼ねて、FAO日本人職員8名が市内のレストランに集まり、地元料理を楽しみながら雑談して、その晩のサッカーの試合(ブラジル対日本)を見るべく後半戦が始まる夜9時前に切り上げたのでした。その時点では日本が1−0で勝っていて、その後萩原さんのアパートにお邪魔した時には、勝つ可能性を信じていたのですが、試合を見ながらやっぱり負けてしまったと落胆した次第です。そんなこんなでローマ訪問はあっという間に終わってオランダへの帰途につきました。

世界音楽祭り(6月24日)

 ユトレヒト市内北部にジュリアナ公園という緑豊かな一角があり、土曜日朝から世界各国の音楽や踊り、歌劇などが1日中盛り沢山のお祭りがあり、午後からいそいそと出かけてみました。小雨ぱらつくあいにくの天気でしたが、どの会場やテントも子供連れやカップルで大賑わい。サルサの体験コースやトルコグループの民族音楽、若者向けのラップ演奏などどれも楽しめるものでしたが、一番面白かったのはスリナムの民話を基にした独り舞台です。地主に穀物を収めねばならない小作農民の日々の苦しさを歌とパントマイムで悲喜こもごもに表現し、見学者を時々引っ張り出しては舞台との一体感をうまく捉え、子供たちも30分引きづり込まれていました。こういう行事が無料で時折り開かれるので、見逃さないよう普段から気をつけようと思います。

オランダ内閣改造と繰り上げ選挙

 オランダ与党3党の内、最も小さいD66党が政権を離脱表明したのが、この7月の始め。即下院解散かと思いきや、残りの与党2党が内閣をコチョコチョと改造し、政権続投を声明し、来年5月に予定されていた選挙が今年11月下旬に繰り上げられて実施されるような方向で動いているところです。この流れで、改めて王室の隠れた権力が表面化してきたように感じられました。というのもD66党離脱の後、女王が各党首と王宮で個別面談をし、選挙までの調整役に元首相でUNHCR(国連高等難民機関)代表を務めていたLubber氏を任命することになったのでした。君主制ではないような顔を対外的に見せているオランダですが、女王の権威はまだまだ衰えていないようです。

ワールドカップとオランダ

オランダは、強豪アルゼンチンについで2位で予選を突破、その後がかなり期待されていましたが、あっさりポルトガルに負けてしまったのでした。その負けた試合内容のひどさ(反則が多く赤カード4枚、黄色カード16枚)に、翌日のメディアもあきれており、ロシア出身の主審への非難もかなり見られました。近所にぶら下がっていたオレンジ色の垂れ幕や旗も、翌朝にはしっかり片付けられており、あっという間に周りから熱気が失せてしまいました。しかし、子供たちはそんなことを構わず、7月10日の決勝戦まで全試合をチェックしていたのでした。

 マリエッタの弟はドイツの企業で働いており、フランクフルトで行なわれた準決勝(フランス対ブラジル)に招待されてベンチの裏で見れる待遇振り。そのときのお土産を息子2人はもらい、大喜び。ちなみに賢治はロゴが入った腕時計、次男の太陽は当日の入場券や案内が入った皮製のケースという大盤振る舞い。こっちが欲しくなってしまいました。

最後に

 マリエッタが学生寮に居たときの友人、ロナルドに街中で後ろから呼びかけられビックリ。4年ぶりの再会で、後日家に来てもらって夕食を一緒に食べながら知人の消息を確認したり、仕事のことを語ったり。暇を見つけてオランダの旧友に会っていくようにしようと思っているところです。こんな感じですが、少しでもこちらの近況が伝われば幸いです。今後ともどうぞよろしくお願いします。