オランダ通信

2006年3月号 *2006年4月3日*
by 清水 正

拝啓、春まさにたけなわの候、皆様におかれましてはいかがお過ごしでしょうか?オランダでの生活ももう4ヶ月目に入っています。3月に入って意外と天気が悪く寒い日が続き、3月初旬の3/3-4には雪が降り、子供たちは雪合戦にソリ遊びを楽しんでいました。3月に入って冬らしい天気になったのもなんか妙な感じがしたものです。私のほうは、オランダでの労働許可証取得が3月21日に6ヶ月分取れ、ホッとしています。マリエッタは理事会や予算申請等で忙しい月となりました。こんな通信ですが、オランダでの最近の様子を少しでも皆様にお伝えできればと思います。

今年2月中旬から3月下旬までの動き

2月17日 カーニバルのお祭り(小学校にて)
2月20-24日 クロッカス休暇(小学校)
2月24日 KIT にて講義(アムステルダム)
3月5日 西川先生(名古屋大学)および根本さん(信州大学)の訪問
3月7日 オランダ地方選挙
3月6-11日 IFAT の理事会
3月24-26日 ドイツ・デュッセルドルフ訪問
3月31日 KITにて講義

IFAT(国際フェアトレード連盟)の理事会

マリエッタは3月上旬にIFATの理事会があり、5大陸の代表者を含め会議が毎晩遅くまで続いていました。一晩だけ、ここに来てもらいささやかなパーティもしました。ナイジェリア出身のSemShakさんは、アフリカの代表を務めており今回は、オランダ訪問のビザがなかなか下りず、事務局の皆をヤキモキさせていました。会ってみると控えめな紳士で話題も豊富なビジネスマンでした。オーストラリアのPaulは、「楽しみにしていた地元の音楽祭とこの理事会が重なって非常に残念!!」とぼやき、時差ぼけに苦しみながらもジョークを飛ばす少し年配の元青年です。フィリピン人のTeenaは、理事会のファシリテーターとして2回目のオランダ訪問。活け花とお茶をたしなむ親日派で、パーティに招いたときにも、花瓶に花をきれいに飾ってくれました。彼らを通じて、フェアートレードの生産者の苦労話や展望を知ることが出来、私もいい勉強をさせてもらいました。そのうち、オランダのフェアートレードについて日本語でまとめて報告しようと思っているところです。

KITにて講義

実は、ピンチヒッターということで、日本へ長期駐在する予定のオランダ人向けに講義を引き受けることになりました。KITは、アムステルダムにあるオランダ王立熱帯研究所で、活動の一部に異文化交流とマネージメントがあります。知り合いを通じて、この2月には、RaboBankインターナショナル・日本事務所に3年間の予定で赴任のKlardie一家、そして3月にはASMLというセミコンダクターのメーカーに勤めるIjkelenstamさんに、それぞれ日本の習慣や文化、政治経済等について半日英語で講義をしました。準備等は慣れないこともあり、少々手間取りましたが、幸い好評だったようでホッとしています。

Klardie一家は、二人の子供も一緒に参加しており、折り紙をして遊んだりお箸の使い方を教えたりしました。Ijkelenstamさんの赴任予定地は熊本で、私も小さい頃3年間住んでいたことから、熊本周辺の話をし、彼がオランダ人では珍しく野球選手であることから、地元の野球チームに入るのはどうかと勧めたりもしました。不定期ですが、日本に赴任する予定のオランダ人に今後も講義をする機会がありそうなので、もう少し日本について勉強しようと思っているところです。

オランダの地方選挙

オランダでは、3/7日に地方選挙があり、野党のPvDA(労働党)が躍進しました。来年5月に総選挙を 控え、目が離せません。躍進の理由の上位に、雇用創出とならんで、貧困層対策が市民の大きな関心であったことにびっくりしました。オランダでも貧富の格差が開いている実感をします(私も求職中だからでしょうかね)。

フランスの動きとオランダの移民政策

「滞在許可には十分なフランス語の知識が必要」。フランスは結構揉めていますが、サルコジ仏内相は3月29日の閣議に新しい移民法案を提出し、パリ郊外などの昨年の暴動の原因に、職を持たず仏社会に適応できない移民の失業や貧困があったとの問題意識から、仏社会への「同化」や職業能力に関する選別を厳しくするのが特徴です。この法案によれば、滞在許可証を得るにはフランスの統治原則を守ることや十分なフランス語能力が条件となり、仏社会への適応力が必要になっています。

オランダも4年前に比べてかなり滞在許可証の取得が厳しくなっているのが現状です。日本人の場合は他のEU諸国出身者や北米国籍の人と同様に、入国ビザが要らないことから、ハードルは低めですが、オランダ人配偶者の収入を厳しくチェックしたり、偽装結婚を防ぐために結婚証明書の提出を求めたりと書類申請が複雑になってきています。申請料も2001年の際には125ユーロだったのが、今では830ユーロにまで値上がりしています。オランダ語の知識に関してはフランス語ほど厳しくないものの、書類作成はすべてオランダ語です。このような波を諸に受けているのが、主に途上国(中国やアフリカ諸国)からオランダに来る留学生で、2003年には年間約8000人を受け入れていたオランダの大学も昨年は5000人近くにまで減ってきています。手続きの煩雑さと長引くようになった滞在許可申請が原因とのことです。

デュッセルドルフ訪問

マリエッタ弟夫妻(ThieとIvonne)は、ここから200km東部のデュッセルドルフに住んでおり、ローマ滞在時もこちらが遊びに行ったり向こうが来たりと結構会っていたものです。昨年末にIvonneが懐妊と知り、家族でその誕生を楽しみにしていましたが、現地時間で3/21午前10時半に女の子が産まれました。Charlizeといい、体重は2700グラムで健康そのもの。Skype(インターネットを使った無料電話/画像も送れるので丸でテレビ電話みたい)で連絡をし、その週末に国際特急ICEに乗って2泊3日でDusseldorfを家族で訪ねてきました。ドイツでも日本人駐在員が多い町として知られており、ホテルNikkoの周辺には日本の食材店や食堂、本屋さん等が並んでいます。Ivonneの入院していた少し郊外の病院も日本の奥さんが出産をするところとして地元の人にも知られていました。女の子なのでうちの息子(特に次男)は、えらく可愛いらしく撫でたり抱っこしたりと楽しんでいました。また近いうちに会いたいものです。

最後に

実は、3月28日夜に、ユトレヒト市内に住む日本人のところに呼ばれ、マリエッタに留守番をしてもらい出かけてみました。ハンドマイクのカラオケにお寿司をご馳走になり、オランダに住む上での生活の知恵とか子育て、学校の教育などいろいろ話を聞くことが出来、いろいろと参考になりました。家に戻ったのは夜2時過ぎで、翌日ちょっと疲れが残ってしまったのは歳のせいでしょうか。こんな通信ですが、今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。