有珠山1979年春〜夏

1979年5月/7月

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1977年8月7日、有珠山がほんの短い間前兆現象があった後、突如大噴火を起こしたときには、私は北見紋別に住んでいた。網走までその火山灰が吹き飛ばされてきて薄く降り積もったということだったが、風向きの関係から紋別までには及ばなかった。したがって「大噴火」の実感などあるはずがない。

夏休みを利用して札幌に来たときに、ちょうど仲間とニセコに山小屋を建てているときで、「棟上げをするから一緒に行かないか」と誘われ車で中山峠を越える。留寿都に入り、「その先通行止め」となっていて、空がほの暗い感じだったのを覚えている。そのときには有珠山の復興に関わるなんてことは夢にも思っていなかった。

1979年4月から製紙系の緑化会社に入社し、札幌勤務となることになっていたのだが、有珠山の緑化を本格的に受注することになってその準備が始まるので、すぐにでも札幌に出てくるようにという社命。前任の会社での引き継ぎを急ぎ、急遽札幌に引っ越した。と、それもつかの間で、すぐに有珠山へ。その年は3月末から10月まで、ほとんどを有珠で過ごすことになった。

何をやっていたかというと、当時全国でも初めての規模という100数十ヘクタールの航空緑化。ヘリコプターで牧草などの種子を混ぜた緑化資材を空から散布し、火山灰で裸地となった山腹に植生を回復する方法である。ちょっと聞くと楽な方法だと思うだろうが、地上で準備をする方は計画の書かれた地形図を頼りに沢を上り、尾根にとりつき航空標識を取り付けなければならない。まだ土壌凍結も融けぬ固い火山灰の上を、滑落の心配をしながら3.6mの長さの旗竿を担いで上り下りするのである。

今思うに、若さと怖いもの知らずで山中を歩き回っていた。

5月に播種し、6月の末ごろから芽吹き始める。火山灰に覆われた灰色の山腹に緑がよみがえり始めたとき、「やった〜!!」。

私の緑化屋としての第一歩が始まった。