留萌の春-1988

1988年5月

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造園緑化の施工会社に勤めていたころ、春は植栽工事の最盛期。勤めて10年近く、ゴールデンウィークに休んだ覚えはない。すべてと言っていいくらいに札幌以外の現場だったので、長いことゴールデンウィークの渋滞を知らずに過ごしていた。

留萌の現場もその中の一つ。詳しくは覚えていないのだが、写真の日付を見ると、このころには苗畑もゴールデンウィークは休みになっていて、ひょっとしたら家に戻っていたかもしれない。当時、千望台の生活環境保全林整備事業の植栽工事に関わり、留萌に部屋を借りて週に一度ほど家に帰るという生活をしていた。

春、苗木が芽吹かないうちに植えてしまう、これが活着率を高める最もよい方法。だから毎日必死で植穴を掘る。前年は手掘りで作業を進めたのだが、粘性土で堅く、大変な苦労をした。一緒に仕事をしていた留萌の会社のHさんという方、大変なアイディアマンで、ひと冬かけてバックホウのアタッチメントとして使えるオーガを開発。仕事が一気に進むようになった。土を散らさないようにするために回転数を落としながらトルクは確保する、というところに最大の工夫があったらしい。こういう機械は大量生産をしても売れ先がそんなにもあるはずはなく、残念ながら広まったという話は聞かない。数年前、釧路で一度だけミニバックホウにオーガのアタッチメントをつけ植穴を掘っていたのを見たことがあるくらいかな?

そういえば、この数年後現地を再訪したとき、駐車場で妙な車に出会い、結局は排ガス自殺をした人の第一発見者になったなんてこともあった。携帯電話など持っていないころの話で、あわてて千望台の喫茶店まで戻って警察に電話を入れたことを覚えている。

留萌は、なんやかやと3年ぐらい通い続けた。雄冬でトンネルの崩落があって日本海側を通れない、なんてアクシデントもあったりして、けっこうな時間を費やしていた。今では高速道路も幌糠まで開通し、2時間もあれば着いてしまうだろう。近くなったけど、行く機会は減ったなぁ…。