有珠/噴火まで1ヶ月半

2000年02月14日

昭和新山 旧銀沼火口 大有珠 外輪山
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東京のある先輩から依頼で、作家の青木奈緒さんを有珠山にご案内することになりました。おばあさんである幸田文さんが書いた、「崩れ」に登場する舞台を再訪し、その後を綴るためとのことでした。

2月の半ばにしては穏やかな日でした。ロープウェイで外輪山まで登り、周辺りを眺め回しました。「あれが1977年噴火口で、もともとは銀沼という沼があったんです」だの「30年に一度は有珠山のどっかこっかで噴火が起きるので、私の定年までにはもう一度噴火するんでしょうね」だののんきなことを話していました。

それからほぼ1ヶ月半後の2000年3月3月31日午後1時7分、30年を待たずわずか22年ほどの間を空けただけで、再び噴火したのです。室蘭地方気象台が有珠山の火山観測情報第1号を発表したのが3月28日午前0時50分(北海道新聞,有珠山噴火 http://www5.hokkaido-np.co.jp/syakai/usu/)といいますから、このときにはまだ前兆さえない平穏無事な有珠山を眺めていたことになります。

噴火の映像は、たまたま法務局に書類を取りに行っていた時にテレビで見ていました。「あっ!国道の真上!!!」。幾度となく走った道、造成に関わった別荘地、あっという間に見る影もなくなってしまったんだろうと察することができした。

このときには、幸いにも死者は一人もなく、住んでいる方々は無事避難していたはずですが、1977年噴火の後でお世話になった有珠の漁師の方とはしばらく連絡が取れませんでした。「さて…」と思いつつも動きようもなく、いささかのいらだちを感じていたことを思い出しました。このあたりの私の気持ちは、後日青木奈緒さんが「動くとき、動くもの」に書いてくださっていました。

大地は動くもので、私たちが感じている「安定」はその中の一瞬かもしれない、そんな思いはその後何回も感じさせられています。
※青木奈緒,2002,動くとき、動くもの,267pp,講談社

2012/12/04