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正直に言えば、ぼくは今の事態に対して言うべき言葉を持だない。
被災地の惨状について、避難所で暮らす人たちの苦労について、暴れる原子力発電所を鎮めようと(文字どおり)懸命に働いている人々の努力について、いったい何か言えるだろう。
自分の中にいろいろな言葉が去来するけれど、その大半は敢えて発語するに及ばないものだ。それは最初の段階でわかった。ぼくは「なじらない」と「あおらない」を当面の方針とした。
政府や東電に対してみんな言いたいことはたくさんあるだろう。しかし現場にいるのは彼らであるし、不器用で混乱しているように見えても今は彼らに任せておくしかない。事前に彼らを選んでおいたのは我々だから。
今の日本にはこの事態への責任の外にいる者はいない。我々は選挙で議員を選び、原発の電気を使ってきた(沖縄県と離島を除く)。反原発と言っても自家発電だけで暮らすことを実行した者はいなかった。
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今からのことを言えば、我々は貧しくなる。それは明らかだ。貧しさの均等配布が政治の責務。
叔母は、今は戦後と同じ雰囲気だと言う(戦時中と同じ、ではない。我々は殺すことなくただ殺され、破壊することなくただ破壊された)。十年がかりの復興の日々が始まる。
「またやって来たからといって/春を恨んだりはしない/例年のように自分の義務を/果たしているからといって/春を責めたりはしない」とシンボルスカは言う。「わかっている わたしがいくら悲しくても/そのせいで緑の静えるのが止まったりはしないと(沼野充義訳)」
そういう春だ。