第一種疑似科学とは、人間の心のゆらぎにつけ込む「まやかしの術」である。「科学」と名付けるのはおこがましいのだが、心理学の対象と捉えれば疑似「科学」と読んでもかまわないだろう。これは、占い系、超能力・超科学系、「疑似」宗教系に三分類できる。(わざわざ「疑似」宗教としたのは、後に述べるように宗教の名を借りた詐術であるためだ。)いずれも、人間の精神領域に関わるだけに、いったん嵌ると抜け出すのが難しく、治療も困難という共通点がある。また、引き込もうとする側は人間心理の盲点をつく手法に長けており、被害者は意識しないまま(被害と思わず)深入りしてしまうことが多い(3p)。
第二種疑似科学に分類されるのは、科学の活用・援用・乱用・剽窃・誤用・悪用・盗用に関わる事柄である。そこには、科学的装いはしているが何ら根拠がないもの、科学も社会的構成物に過ぎないとする相対主義、確率や統計を巧みに利用して誤認させる手法など、さまざまなテクニックがある。科学者への反撥や科学主義一辺倒への批判を利用したものも見受けられる。第二種疑似科学には物品の商売に絡む問題が多い。資本主義全盛の現代においては、科学の「資本主義的利用」(つまり商売の取引としての利用)が欠かせないのだ。そのため科学の恣意的利用を図ることになり、疑似科学が動員されるのである(47p)。
第三種疑似科学は、これら複雑系に関わる問題で、それを要素還元主義の考え方で理解しようとすることからくる誤解・誤認・悪用・誤用などを指す。要素に分解してもわからないことをもって「科学的根拠なし」と断定したり、要素がプラスにもマイナスにもはたらくことをもって「どちらとも言えない」と不可知論に持ち込む手口である。その結果として、環境問題や生態系の危機に関しても何も問題がないと居直ったり、データが不十分だとして対策を手控える方に軍配を上げたりしてしまうのだ。疑似科学と呼ぶ所以は、ある事柄についての原因を単純化して表現し、それですべてがわかったような気にさせてしまう、つまり「思考停止」にさせるような言説が多いためである(123p)。