一神教というのは、啓典宗教つまり「聖なる書物」をいただく宗教です。日本の神道をふくめ、民族固有の多くの宗教はいわゆる「場」の宗教で、特定の尊い場所(神社とか山とか滝など)に行くとそこに神様が鎮座しているわけです。しかし一神教では、神は高い超越的なところにいて、その言葉のなかに聖性が宿ることになります。ゆえに神の言葉を預かる預言者や、神の言葉を記した書物が大切になるのです。
ここで注目すべきことは、場に拘束されない宗教である一神教と「情報」の関連です。
第一章で述べたように、最初の本格的な機械情報は「文字」でした。文字が書かれた石板や羊皮紙を持ち運べば機械情報は伝達されますが、社会情報が「伝達」されるには(つまり意味内容が擬似的似せよ伝わるためには)、文章の斉一的な意味解釈を強制する権威が必要不可欠になります。そして一神教において、聖なる書物に書かれた文章の「正統的解釈と司る権威」がきわめて重要なことは明らかでしょう。
逆にいうと、正統的解釈がおこなわれさえすれば、一神教は場所に拘束されない「モバイル宗教」となることができます。どこであろうと、聖なる書物を運び、そこで正しくその内容を解釈すれば布教ができるわけです。一神教が民族の壁をこえて世界的な大宗教になった理由の一つはここにあると言えます。