加齢とファッション

鷲田清一

世にいう「ふまじめ」なひとは、若いころから仕事一筋ではなく、趣味や遊びや交遊にも熱心なので、そのひとつが減ったところでへこたれない。人生を一本の線と考えないから、そのつどオール・オア・ナスィングの選択を迫られたりしない。だから時間ができるとむしろ開放感にひたる。そういうひとは、会社勤めの地味な背広からも開放されて服装も明るいものになる。

漁夫生涯竹一竿とか生涯一捕手などといった教訓もあるが、そういう「あれかこれか」の人生ではなく、「あれもこれも」という人生もありうるのではないだろうか。そういう人生を送るひとは、ずっと服装に関心をもちつづける。時代の空気にアンテナを張りつづけている。

ファッショナブルというのは、いまを過去や未来のために犠牲にしない生き方のことだ。だからそれぞれのライフ・ステージにそれぞれのファッショナブルがあるはずだ。加齢を隠すメイクや服装ではなく、おのおのの年齢を輝かせるもっと多様なファッションがあってもいい。ぴんと張ったつるつる、ぴかぴかの膚もいいが、小じわが刻まれ、時間の深さを鏝光りのように鈍く輝かせる膚もいい。こだわりなくそう感じられるような感受性を取り戻さないと、加齢はいつまでもくすぶったままだ。

2007/06/30
鷲田清一(わしだ きよかず),2006,哲学を着て、まちを歩こう ファッション考現学,77-79p,284pp,ちくま学芸文庫,筑摩書房