分割の意味するところ

塩野七生

ローマの皇帝が属州民から徴収していた収入の十分の一の属州税とて、キケロが言ったように「安全保障費」であったことは、当時は属州民も納得していた。なにしろローマ軍が国境を守ってくれているので、農民たちも安心して耕作に専念できていたからである。しかしその「安全保障費」が収入の10パーセントでとどまっていた理由は、ローマ帝国が広域にわたっており、しかもその中で必要に応じて軍団を移動させたりする形での軍事力の融通システムが、経費の節約につながっていたからである。広ければ、一人あたりの負担は少なくなる。狭ければ、一人あたりの負担は増えるのだ。中世の封建領主は、わずかな戦力しか持っていなかったにちがいない。だが、少数でも戦力をもたなければ領主でいることはできなかった。つまり、必要がないときでも戦力は維持しつづけなければならないということである。時代は変わっても、この種の現象を生む原因は変わらないのではないかと思う。そしてこれが、防衛面のみにしても帝国を分割し、各自に責任を分担させた「四頭政」下での防衛費の激増に、つながっていったのにちがいない。くり返すが、分担とは、現にあるものを分割して担当させただけでは済まないのである。

2007/12/24
塩野七生(しおの ななみ),2004,ローマ人の物語13 最後の努力,58p,296pp,新潮社