説明版をみると、
「旭川市指定文化財・永山屯田第三三二番兵屋」
とあって、この建物は1890年(明治23年)永山屯田第二中隊のために建てられたものである。一般に陸軍標準型と呼ばれる屯田兵屋の典型的な形式である。 という。標準型、典型的ということばが、かえって凄みになっている。屋根は木屑で葺かれていて、じつに薄い。煙突はなく、煙出しがある。本土の中では冬季の寒さがきびしい東北の農家にくらべて、比較にならないほど寒さからの防御力がない。せめて東北の標準農家ぐらいをなぜ建てなかったのだろうか。
「屯田兵ノ一家ハ取リモ直サズ往昔ノ武門武士ノ列ニ加ハリタルニ等シケレバ」
と、一方で近代的な法社会をつくりながら、北海道の原生林のなかでは、過去の封建的身分になぞらえてもちあげている。「武門武士ノ列」ならば玄関のひとつもあるべきものなのだが、そうではなく出入り口は便所の戸板のようなもの一枚でふさがれているだけである。ひとを寒地に追いやって美辞麗句でおだてあげる体質とはどういうものであろう。徴兵令という、半面において百姓蔑視の精神をともなっている明治以降の陸軍の基本的な性格と無縁ではない。
「汝等ノ身命ハ、天皇陛下ニ捧ゲ奉リシモノニシテ、自身ノ生命ニハアラザルナリ」(教令)と、たれもそういう契約をしたおぼえもないのに、とんでもない修辞をやってのける。こういう美文で封建期以来ひとびとがもちつづけている忠誠心を刺激し、万事を解決しようというのである。最初にこういう文章を書いて、屯田兵という本質的には世帯もちの農民であるひとびとに押しつけた人間というのは、どういう神経の、どういう顔をした人物だったのだろうか。
−お前はある人の所有物であって、お前自身のものではないぞ。
というのは、自分一己の個人的信条ならともかく、第三者にいえるものではないし、たとえば戦国時代の武将で、もし士卒にこういうことを言った者があるとすれば、狂人としてあつかわれるか、さもなくば即座に没落したに違いない。
ともかくも、なま身の人間をこういう小屋に入れて寒冷地開拓をやらせた政治家や役人どものおそろしさを記念するという意味でも、この標準兵屋はながく保存されていい。