曖昧な思考は曖昧な言葉で語られる

鶴間 圭

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文章に携わるものは、少しでも多くの読者に自分の文章を読んでもらいたい、自分の考えを伝えたいと願っているはずだ。そのためには、なるべく平易な言葉と簡潔な文体で書くことを何よりも心心掛けるべきだろう。明快な思考は明快な言葉で語られ、曖昧な思考は曖昧な言葉で語られる。

だが、難しそうな言葉を使えば、薄い中身が濃くなるという幻想を抱いている書き手は、意外に多い。だから、曖昧な思考は「難解な」言葉で語られる、と言い換えた方がいいのではないかと思う文章にしばしば出会う。

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音楽も物書きもその仕事の本質は表現することであり、言いたいことが相手に伝わらなければ、意味がない。聴衆のことを考えない音楽家も、読者のことを考えない物書きも失格だろうと思う。

2005/04/04
鶴間 圭,2004,聴衆のことを考えない音楽家,ああ、腹立つ,114-123,208pp,初出は1996年1月号から「「小説新調」に連載された「腹立ち日記」,新潮文庫,新潮社