理論的抽象と感性

花崎皋平

抽象された内容をあらわす言葉は、建築にたとえれば素材としての煉瓦のようなものです。四角い煉瓦は、なめらかな丸い形をつくるには適していません。煉瓦で曲線をつくるためには、近似した形に積むしかありません。物事の理論的表現とは、四角い材料で、丸い具体的な実在の近似的な姿をつかむということです。ですから、適切な抽象の程度が大事になります

散歩していて目に入る風景は、道端の草本、日の光、雲の形、空の色という具体的なレベルから、住居と環境といった生活のレベル、生態系の営みと人間の及ぼす作用(共生と破壊)といった文明のレベル、天地、自然、宇宙と人間という存在論と宗教的思索のレベルまで、私たちの思考の求めに応じて対話の相手になってくれます。しかし、このような抽象の程度をあげていく思考だけに価値があるのではありません。感性による表現は、理論的抽象の網の目からこぼれ落ちてしまう細部が果たす人間の感性への働きかけを重んじます。そこでは、個々のものの姿や働きが取りかえのきかない個性として重んじられます。

2004/04/29
花崎皋平(はなざき こうへい),2003,「歩く」こと、「考える」こと,どこへ行く?QUO VADIS?,18-20,150pp,自由学校 遊 ブックレット8