コンサルタントの役割

飯田哲也

環境NGOとして活動しながら、私は民間研究機関にコンサルタントとして勤めている。「原子力村」の外で初めて得たこの職場で、私は主に「環境と人間に優しいまちづくり」と「エネルギーの分散利用」という二つを領域としている。この二つの領域は、北欧を中心としたエネルギーとくらしの現場を訪ね歩いたときに感じた日本社会のズレを大切にしながら、環境保全的で公正な社会をめざすという自分の信念にできるだけ重ね合わせるよう仕事の内容を選択したり企画するように努めてきた帰結であるそのズレとは人間中心(市民、利用者中心)に社会ができあがっているかどうかという点にある。日本社会におけるまちづくりが人間中心かどころか市民敵対的でさえあることは、先の阪神大地震でも露呈したとおりであるし、エネルギーについても原発の立地に象徴されるように明らかに市民敵対的だ。

このズレは、環境NPOあるいは市民の視点でコンサルタントの世界を見渡したときにいつも感じる違和感とも共通している。その違和感とは、コンサルタントの世界には経済と行政しか見えず、いわゆる市民セクターが欠落していることである。たとえば、近年の規制緩和の潮流で「官から民」が一つのスローガンとなっているが、コンサルタントの世界から見た「民」とは、けっして市「民」ではなく「民」とは企業なのだ。そしてこの感覚は、経済界にはもちろんのこと、官僚においてもかなり共通しているように思われる。こうして人間や市民の視点を欠いた政策は、必然的に非人間的・市民敵対的にならざるをえない。この欠落した市民感覚を企業社会に補っていく作業こそが、コンサルタントとしてのわたしの仕事の中心といえるかもしれない。

一方、コンサルタントとして企業社会・経済社会の現実から環境NGOを眺めると、やはり理念的な主張にとどまっており現実への力が不足していることを痛感する。実現への戦略という視点からは、まだ環境NGOがなすべきことは少なくない。力不足ではあるが、この点からわたしも貢献したいと考えている。

このように企業社会のマインドと環境NGOの理念との「翻訳」ができる立場にある人間は、意外と少ないようだ。もちろん企業の中でもとくに研究者や技術者には環境NGOに理解を示す人も少なくなく、その一部の人は現に企業に勤めながらNGO活動を行っている。しかし企業社会・官僚社会の本流を歩みながらこうした感覚を持ち続けることは難しく、現場から離れ組織経営の意志決定の中心に近づくにつれて変質していく。現場から直接得られる皮膚感覚から次第に切り離されていくからかもしれないし、逆に切り離さなければ組織や経営の周縁にとどまらざるをえないのであろう。こうして、現場の皮膚感覚や市民感覚から切り離された人間が、経営者や官僚として意志決定の中枢に登っていく。この中枢こそが環境破壊や人権問題さえ生み出しながら拡大していく企業活動や官僚支配の行動原理を形成しているのであり、コンサルタントという職業は、まさにこうした人々を顧客としているのである。企業社会が拡大し官僚化が進んでいく現在、環境的に効率的で公正な社会、いわゆる持続可能な社会を築いていくためには、企業社会の論理とを「翻訳」できる立場はますます重要になってくると信じている。本来、仕事の面白さとは、それにたずさわる各人の創意工夫がこめられ、結実する点にあると私は思う。

1997・2003/12/03
飯田哲也(いいだ てつなり),1997,三つの「本職」・市民として仕事をとらえなおす,河合隼雄・内橋克人 編,現代文化論4,178-180p,268pp,岩波書店