ハドリアヌスがなぜ帝国全土を視察して廻っていたかについて、塩野七生は以下のような考察をしている。
第一は、知識と経験の関係についての、彼の考え方。
賢者は歴史に学び愚者は経験に学ぶ、という格言があるそうだが、私の考えでは、賢者の側にいたければこの両方ともが不可欠である。「歴史」、書物と言い換えてもよいが、これを学ぶ利点は、自分ひとりならば一生かかっても不可能な古今東西の多くの人々の思索と経験までも追体験できるところにある。一方、自身の「体験」は、追体験で得た知識を実際にどう活かすか、また活かせないか、を教えてくれる役に立つ。つまり、机上で学んだことも、実体験とかみ合わせることではじめて活きた知識になるのだ。このような考えに立つならば、正確な情報さえ得られれば適正な対策を立てられると思いこむのは、知識ないし情報の過信であり、対策を講ずる上で危険でさえある、と思うようになる。
第二は、情報の本質ついての考え方。
情報は、自動的に機械的に集まってくるものではない。収集の段階ですでに、人間の介在は避けようがない。集めて送る人は、それが重要と思うから集め、送るのである。つまり、集め送るときにすでにそれを行う人の問題意識が介在する。だが、それだけではなく、情報を受けそれを活用する段階でもさらに、それを行う人の問題意識が介在せざるをえないという性質を持つ。これは、コンピューターの時代になろうと変わらない。ハドリアヌスが自分の足でまわり自分の眼で見るやり方を選んだのも、情報の持つこの本質を熟知していたからだと思う。いかに有能で忠実な部下でも、彼と同じ問題意識を共有してくれとはかぎらないからである。
第三は、合理と非合理の関係についてである。
自ら視察してまわることで帝国の安全保障システムの再構築を意図したことは、「合理」である。一方、巡行する先々で辺境防衛の任についている兵士を閲兵し、辺境での不便に耐えている彼らの労苦を謝し、帝国の安全はおまえたちの肩に掛かっていると言って激励することは、感性に訴えるがゆえに「非合理」になる。だが、戦場での勝利が主戦力の駆使にかかっていることは自明の理だが、補助戦力なしには主戦力の活用も成らないのだった。合理と非合理の関係もこれと同じだ。辺境の軍団基地に駐屯する兵士たちにとっては、自分たちの最高司令官でもある皇帝の顔を見、声を聴くなどは、一生に一度しかなかったにちがいない。ローマ帝国は広く、防衛戦は長く、当時の交通事情ではハドリアヌスでも、二度三度と訪れることなどは不可能だった。
多民族国家であったローマ帝国は、似た例を現代に探すとすれば多国籍企業であろう。多くの国に分散している支社や現地法人をくまなく視察し、問題点があればその解決法を示して実施させ、責任者の選抜も適材適所を貫き、抜擢に値する人材は、人種や民族の別に関係なく登用する。これが、二十年の治世の多くを費やして、ハドリアヌスが実行したことであった。