山づくりに誘い込むワナ

浜田久美子

私が思いついたワナは、未知の山仕事を学ぶ楽しさとからだを使って実行する充実感で参加者をからめとって、関わった山と人に無関心ではいられない気持ちにさせてしまう、というものだった。

そう考えた背景は、圧倒的に人口の多い都市化された街に暮らす人たちには山も木もまず無関係でいられてしまう、それゆえ無関心のままという私自身が経験してきたことと、多くの山を抱えている農山村部では、人口の減少もさることながら、激しく低迷を続けている林業の余波で山にはまったく背を向けている人が多いということがあった。都市部と似たような無関心と共に、もう見たくない、というイヤケと大変さで気持ちが冷えこんでいる、という感じがしていた。

無関係と無関心とイヤケと大変さ。単純に都市と農山村というくくり方をしたときに、それぞれにある山に対する代表的な感情。もちろん、どちらにも例外があるし、これだけではくくれない。けれど、おおむねこの四つが両方の地域に単独で、あるいは重なりながら流れているように思えたのだ。それが今の日本の山と私たちとの関わり方のベースに流れている、というのが私の見方だった。

一方で、「山仕事をみっちり教えられる大学教授」だった元信州大学農学部教授の島崎洋路さんから私が学んだ山仕事のあれこれはじつにおもしろかった。何も経験してきていなかったということがこの場合には幸いもしたと思うが、見ること聞くことやることのすべてがものめずらしく楽しい。そうして、本を読んでも通りいっぺんにしか感じられなかった日本の山の歴史や流れや、なぜにこんなに困ってしまったのか、のリクツが実感として胸に落ちてくることの知的な満足感。木に恩義を感じ、「何かを返したい」と考えている私のいれ込みを用心深く差し引いて考えても、「これは使える」とはじき出せた。

何に?

山仕事を通して具体的に今もっとも必要な山の手入れをする人を増やし、それらがどんなに微々たるものであったとしても、少なくとも無関心ではいなくなる人が増えることで、結果的に山はいい方向に向く。その方向に向かせる動力になる、と思ったのだ。山に対する理解と関心が深い人々、という裾野を広げておかないかぎり、木は、山は安泰ではないと私には思われた。

そうして、その裾野はもちろん都市でも農山村でも同じように広がればいいとは思っているものの、現実的に山がほとんど農山村にあるような日本では、都市部に暮らす人が実際の手入れを本格的に担えるとは思えなかった。どうしても、限界がある。だとするならば、少数になってしまっている農山村の人にどうしたら山に行ってもらえるようになるのだろうか? 行けなくとも、人に依頼してでも「手入れをしよう」と思ってもらえるのだろうか? 大きな難問に思えていた。

経済的な意味での木材を育てる林業が劇的に上向いたりする可能性は、今後おそらくよほどのことがない限り、低い。だとするならば、「売れないから山の手入れはしない」という状況が変わることも期待できない。別な価値観で山が見られることがどうしても必要なのだと私には思えていた。

 知らない人には、知る喜びや楽しみができやすい。けれど、すでにある知識をもっていたり経験があって、それがネガティブなものならば、変えるのは容易ではない。何にしても、まっさらの方がやりやすい。

結局、人が何に影響を受け、感じたり考えたりするかと言えば、その決定打は同じく「人」だ、と思われた。人に出会い、人に影響されるときに、さまざまなモノゴト、デキゴトが変わって見える。だから、未知の人と既知の人とを会わせてしまおう、と。

私がワクワクしながら学んだ島崎先生の技術と知識とハートを、それらの人が共に学ぶ場をつくることで、いろんな伝染が始まるのではないか、と考えた。あくまでも、「学ぶ」を掲げようと思ったのは、現実的に山仕事の技術そのものが伝わらなくなってしまっていることと、そもそも休日を使い、受講料を払うというハードルを越えて参加する人たちは当然それだけの「熱意」があると言えるからだった。熱は伝わりやすいという性質を利用したいと思ったのだ。

山の現状を知り、人手とお金がいることを知り、けれどそれを自分のからだを通してやれることを知り、変化する山を見たならば、人はそこにもう無関心ではいられなくなるのではないか? 遠くから来る人にとっては、毎週末のようにそこの山に来ることはできなくても、年に一度でも二度でも、「親戚のオジサン、オバサン」を訪ねるような楽しみとあわせて一緒に山仕事をする、そういうことが起きないだろうか?

そうやって休日を使い、お金まで使って遠くから嬉々として山仕事をしに来てくれる人とのふれあいで、「やっぱり山はいい、大事にせにゃあ」と山近くの人が山を振り返ることにつながらないだろうか? ふだんは山に行かなくても「あの人たちがくるときには」と遠来の客と楽しむ山仕事、なんていうものが成り立たないだろうか?

それが私の思い描いていた「餅」だった。

2003/02/17
浜田久美子(はまだ くみこ),2002,森がくれる心とからだ 癒されるとき、生きるとき,233-236p,全国林業改良普及協会